陸;これは脂肪?それとも希望?①

太陽を遮るカーテンが優秀すぎ昼夜がわからない部屋の中、僅かな明かりが点滅をする。
はぁ、朝か。憂鬱な気持ちでスマホを取る。

「今日は何キロ?」

のろのろとベッドから抜け出して、乾いた喉もそのままにトイレへ向かう。
なるべく軽くなっていなければ、ざらつく気持ちで下着姿になり体重計に乗る。今日の体重をスマホで撮り、姉へ送信をするのが毎朝の日課。

姉は昔太っていた。影で力士と呼ばれていたとでも言えば伝わるかな?同じものを食べているのに不思議だけど姉妹と思えない体型だった。

あの家はアルコールに溺れきった父のせいで劣悪だった。
飲み始めはいいのだが酔いがまわると、やれ学歴だ、政治家がクズだ、会社の誰々はつかえねぇ、と始まる。からみ酒になってもなおピッチを落とさず安酒をグイグイあおっては、お前はこんな貧乏ったらしいものしか作れねぇ田舎育ちだったよなぁ、と母を見下す言葉を投げつけるのだ。酔っ払いと会話が成立しない事は、母も姉も私も嫌と言うほど知っている。だから毎晩適当に相槌を打ちながら、早く酔い潰れて寝てしまえと心で呪っていた。

そのまま畳に寝転がり朝を迎える日は「平和」
母が我慢しきれず、じゃぁ田舎料理は下げますねと言った日は「波乱」
女三人が眠りにつこうとする事に切れて喚き始めたら「地獄」確定

テーブルのものを手で払い除け灰皿を投げつけて寄越す。それでも怒りが収まらない時は「姉を殴る」。なぜだかわからないけれどターゲットはいつでも姉だけ。それも血を流し意識を失うまで殴り続ける全くもって凄惨な現場。必死で止める母と私、だけどそれは酔った父の怒りの炎に油を注ぐだけ、火消しの足しにすらなりやしなかった。

こんな家が均整を保ち続けるはずもなく姉は真っ当な道を大きな歩幅で飛び越えてしまった。飛べそうもなさそうに見えたハードルを易々と飛び越え、学校へ行かず家にも帰らず似たもの同士で肩を寄せ、何処かで夜を越すようになった。

気に入らない相手にえげつない暴力振るうガタイのいいやべぇ女がいる、そんな噂が立つようになった。姉は父から受けた痛みを他者へぶつけ仕返しをしたかったのだろうか。
暴力だけではなく、酒や煙草や男女の気配が漂い始めた姉は、まるで魔法にでもかかったかのようにスルスルと痩せていき、憎しみを込めた綺麗な瞳で徹底的に父を無視するようになった。

そして家族の誰もが気がつかなかった事実

痩せた姉は美人だった

底辺校になんとか入学した勇しく美も備わった姉はもはや無敵状態の女子高生となり、世に牙を向けより一層刹那を生きているように私の目に映った。美人でいて強いのだ、大人相手に物怖じせずタメ口を聞く姉を、いわゆる裏社会と呼ばれる社会を生きる年上の男性たちが面白がった。

大人たちは姉に、シャネルやヴィトンだけでなく、ハワイやグアムや韓国でのゴルフ、およそ高校生とは思えない生活を与えた。姉はさも当然と言わんばかり、大人たちが稼いだバブル経済の恩恵に溺れ楽しみ、「つまんない」の一言で女子高生という鎧を捨てた。

一方小学生だった私はお前の姉ちゃんヤバイんだろ?そんな噂が同級生の耳にまで届き、勝手に一目置かれた上に大人びた顔付きも手伝ったのか、同級生との間に見えない壁を生んでしまった。属すカテゴリーが見当たらなくなった私は自然と姉と過ごすようなった。そんな事情を知らない周りは私たちを「美人姉妹」ともてはやし二人で一つのような扱われ方をされていく。

姉は高校を中退し、大人が紹介してくれた会社へ飾りだけの事務員として通い、楽な稼ぎで遊び狂っていた。想定外すぎるの横道へのそれ方に危機感を覚えた母は、私に学力を付けさせようと躍起になり家庭教師を探してきて私に勉強をさせようとした。

学ぶ力をぽっと与えられようが、相変わらずアルコールをやめられない父と当然不仲な母。そしてたまにふらりと荷物を取りにきた姉が両親が鉢合わせると怒号が飛ぶ家。落ち着いて学習しましょうね、なんて環境になど到底ならず無駄と知りつつ家庭教師から出された宿題を淡々と片付ける
つまらない日々。

そのうちに姉が放課後だけではなく夜の世界に私を連れ回すようになった。

偉そうに説教する大人のいない場所
説得力の欠けらも無いアル中の父がいない空間
文句を言いながらも離婚しない母のいない世界

私は一気にのめり込んでしまい中3の頃にはもう姉の金でクラブに通い、当たり前のように同じ道を進み始めた。美人姉妹、それだけで目立つのだろうか。私たちはある界隈ではちょっとした有名人となっていた。

違ったのは、私は姉ほど自暴自棄に生きるのが怖かった事。姉の様に生きられる自信がないから高校に頑張って通っていた事。在学中に取れる資格を取った事。卒業したら正社員として真面目に働こうと決めていた事。

頑張った甲斐があったのだろうか、高卒枠でそこそこ大きな外資系の会社の事務に就職が決まった。今までのように毎晩朝まで遊び歩くことは出来なくなったが、好きな物を自分で買える喜びと、アル中の父に出ていけと言われてもいつでも飛び出せる事に気がつき密かに高揚していたあの頃、

姉が突然、結婚すると言ったのだ。

散々渡り歩いてきた稼ぐ大人ではなく、真面目そうな若者を連れてきた。聞けば今時珍しい植木職人だと言う。互いに欠けている真面目と奔放、そんなところに惹かれたのだと。
そして姉らしくはっちゃけた楽しい結婚式を挙げ、あっさり現役引退を宣言し「お気楽ご気楽な専業主婦を楽しむわ」そう言って家を出て行った。

元々、いるかいないかわからない程度にしか帰ってこない姉ではあったが、痕跡がなくなるとやはり寂しさがあるにはあった。

だが一つ発見もあった。片付いた安心感がそうさせるのか、ふらりと姉が実家へ寄っても父が機嫌良く迎え入れるようになった。相変わらず酔えばクダを巻くだらしのない父ではあるが、元々母と私に暴力は振るわない、そして母も私も言い返さないし歯向かわない。だから意外にも三人で平和に暮らせていけるようになった。

けれど荒んだ家というものは、そう易々と平和を保ってはくれないようである。

姉がご主人と喧嘩をしたと言っては実家へ泊まりに来るようになる。はじめは姉の言い分を、ふんふんと聞いている父なのだが、そのうち「お前が間違っている、男を立てろ」と自由奔放な姉には全く響かない見当違いの意見を押し付け怒鳴り暴れ、酔い潰れて眠るのだ。あぁうざい、怒号とバイオレンスはもう沢山、イライラする。

姉が実家に帰ってくる頻度が多くなるにつれ私は家へ帰るのが嫌になり、気がつけば毎晩のように彼の家に逃げこんだ。姉は専業主婦なのだ、残念だけど時間がたっぷりとある。私が仕事から帰ると待ってましたとばかりに姉が「聞いてよー」とご主人の愚痴を溢れさせる。

父もだが、どうして姉は他人の粗を嬉々として語るのだろう。はっちゃけて遊んでいたあの頃の姉はもっとこう、なんだかぶち上がっていて何をしでかすか読めない行動が楽しくて、これまた期待を裏切らない斜め上の奔放さが、一緒にいて楽しかったのに。

だけど今の姉はどうだ?化粧もせず母とテレビを眺め愚痴をこぼし、父が帰宅すれば酒宴を開きそのうちに口論になるだけだ。弾けてない姉はなんだか魔法が解けたシンデレラのように、平凡なただの退屈な女に見えた。

「気分転換に働いてみたら?」

禁句だったらしい、今まで父以外に口撃しなかった姉が
「中卒の私を一体どこが雇うのよ!パートなんて絶対死んでも嫌、かっこ悪いじゃん」
と怒鳴ってきたのだ。

あらら?姉は刹那を生きていたんじゃないの?
姉から学歴の後悔や、職種差別みたいな話を聞くとは思っていなかったから意外だった。私はただ家庭が暇でつまらないのなら外へ出たら?そんな軽い気持ちで言っただけだったから。

姉がダイエットをしないとやばいフォルムになる頃には、ほぼ実家暮らしがデフォルトとなり、ご主人が謝罪と共に迎えにきては駄々をこね渋々帰るの姿を見送る儀式が日常となりつつあった。ゴム入りの楽な服で実家に住み着き、母や私に愚痴をこぼし挙げ句の果ては私の部屋を自分仕様に着々と模様替えをし始めた。こいつここに住む気だな?居場所を侵略され腹が立った私が今度は家を出る番になった。

武史は良くも悪くも他人の人生に興味を持たない。そんな所が居心地が良くて大好きだ。父も姉も人の批判と愚痴ばかりで聞いていてイライラする。つい浮かぶのは「そんなにあんたたち偉いのかよ」である。アルコールに溺れ怒鳴る情けない父と、実は似たもの同士にしか見えない姉、なんだか全てががっかりだった。興味がないから愚痴もそもそもない武史だ、それだけで私には十分に尊敬に値する。

いつの間にやら母が、姉の馬鹿にしたスーパーのレジ打ちの仕事を始めていた。いつ来るやもわからない家族の破綻に備え自分の為にお金を貯めていると笑った。破綻ねぇ、とっくに家人はぶっ壊れているのに今更何を、そう思ったけれど言っても意味がないからやめておいた。

私は仕事が楽しくて破綻している家族などどうでもいいと思っていたし、資格も私を後押ししてくれ、外資系らしい実力評価の給料形態にやりがいしかなかったし。
自分の仕事の切りを考えれば残業すらも苦ではなく、帰る家には先に食事を済ませ寛いだ武史が待っているのだ。

母が父のつまみを作らない日などありえかった。田舎者の料理を用意しておかなければ父の機嫌はすこぶる悪くなり、執拗なまでにネチネチと言われ続ける。子供じゃないんだ、母が遅くなった日くらい自分で勝手に食べればいい、絶対父みたいな男は選ばないと決めていた。彼は私の帰りが遅い日は先に食事を済ます一人で生きていけるちゃんとした大人、父とは大違い。だから私はこの生活に不満も不安もなく満足していたのに。
「おい、お前はいつまでだらだら同棲してるんだ?ちゃんと結婚しろ、けじめだろう」
そう父が急かすようになった。親らしいことを言うだけの父、私の事情も知らず勝手なもんだ。同棲したくて家を出たんじゃない、居場所を姉に侵略された結果が家を出ざるをえなかっただけなのだ。それを結婚しろだと?一体結婚のどこに魅力があると言うのだ。

父も母も姉夫婦だって、幸せ?いいや、そうじゃないだろう。だから私は結婚なんてさっぱり興味がない。今は仕事が楽しいしからそれだけで十分。それに、母も姉も主婦になってから化粧もゴム入りじゃない服も着ない生活、一体それの何が楽しいのだろう。

私はウエストを意識した服を着ていたいし、コスメ選びはやっぱり楽しい。女性ならではの折れそうなヒールに役に立たない小さなバックも手放したくはない。女性である自分を楽しみたい。別にモテたいとかはどうでもいいの。洒落た服を身に纏い洒落た店で食事を楽しむ「自分」が好きなだけ。姉のように魔法が解けてしまうのが結婚なのだとするならば結婚したくない。

だけどね。
そんなある日
は。
突然にやってきた。

ある朝電車に乗れなくなった。1ミリも足が動かない、乗らなくては遅刻してしまう、どうしよう。焦れば焦るほどに足は頑なに私の指令を受け付けない。どの位そうしていたのだろう、駅員に大丈夫かと声をかけられた瞬間、体の力が抜け座り込んでしまった。

気を失っていたようで目覚めたら病院だった。告げられたのはパニック発作という心因性のものと。何か心と体に負担がかかり無理をしているのでは?と心療内科の受診を促された。

心因性?ともかく会社へ連絡をしなければ、上司は心底心配してくれた。身内に同病の人がいるそうで理解を示し無理せず心療内科の受診をするよう、そして今週は会社を休みなさいと。そうか、今日は木曜日か。特にストレスを感じるようなものは思い当たらない。仕事は楽しいし、武史との生活も幸せだ、この今に一体負荷の要因などあるのだろうか?きっと疲れていて貧血気味だったのだろう、週末ゆっくり過ごせばきっと大丈夫。

月曜日からまた電車に乗れた、よかった。
改札を抜ける度チクリと胃が痛むのが不安だったけど、大丈夫みたい。

今日も仕事が遅くなった。
何か軽くつまめるものを買って帰ろうと、武史に何か買って帰るものがあるかLINEをしようとした矢先、姉からメッセージが届いた。しまった、既読がついてしまった。
姉はご主人と喧嘩をしては実家へ戻り私の部屋を侵食し、いまや実家が姉の家であり私の部屋は至極当然なまでに姉の部屋になっていた。そして夫への不満と「姉が悪いのでは無い」という承認が欲しいらしく頻繁に私に連絡を寄越すようになっていた。

私が育った場所はピリついた空気とアルコールと怒号とバイオレスばかりだったから離れた今、正直いい加減にして欲しいと思っている。あんたたち一体いつまでそんな生活をするつもりなんだと本当は怒鳴り返したいくらいだ。

ただのおばさんになっていく姉を見たくない
アルコールに溺れるだらしない父を見たくない
そんな家庭に縛られている母を見たくないのだ

いいじゃないか、見たくないものは見なくても。もう大人だもの。自由にさせてほしい。だけど真っ当なことを言っても無駄なのも重々承知、だから私は貝になる、それが一番楽だから。

「ねぇ、今日実家に帰ってきてよ。一緒に飲もうよ、お願い」

帰ってきてよじゃないんだよ、あんたが部屋と思ってる場所は元は私の部屋なのだ。それにどうせ飲んだって父と一緒で翌朝には話した内容をこれっぽっちも覚えていない。酔っ払いは苦手を通り越し憎しみを覚えるほどに大嫌い。何が楽しくて体に負担をかけてまで飲むのか意味がわからない。お金と時間をかけるのに翌朝にはこれっぽっちも記憶がない。

楽しく過ごしたのか、意義のある議論を戦わせたのか、趣味の考察について語ったのか、どう過ごしたのかカケラも覚えていないのなら、過ごさなかったのと同じだろう。
そして父も姉も覚えていた方が良い記憶の酒宴など、どうせ過ごせやしないのだから、もはや全くもって金と時間の無駄遣い。

酒がまわると何遍も聞いた過去から現在の
愚痴、
愚痴、
愚痴、
だ。
文句を言ってうさを晴らすだけ、
何の改善も向上も生産性もない、
ただ愚痴を吐く本人のみが気持ちいいだけの時間。
あの人たちは人の時間を奪っている自覚はないんだろうか?

もう家に帰る途中です、実家へは寄りません。

そう送信した。はぁ、明日は実家へ寄らないと。
私が姉の愚痴を聞かなければその不満は母へ向かうのだ。そして母と姉が口論になると父が怒鳴り出す。昔のような肉体的暴力こそないものの、怒号が飛び交う過去の家に戻りつつあるのが正直不穏で仕方がない。

帰ってこなくていいと母は言う。その思いやりが結局私を実家へと向かわせる悪循環、イライラする。だいたい姉もご主人もどうなってるの?夫婦の問題は夫婦で解決してくれ、頼むから私を巻き込まないで、あぁ心底ムカムカする。

自分の不機嫌を私に寄越す父も姉も本当は大嫌い、姉を連れて帰らないご主人も気に入らない、私を頼る母も嫌。なんで私にいちいち「本音」を聞かせてくるの?私は教祖でも占い師でも預言者でもなく、ただの会社員なの。不満だらけのあなた達の人生を変える力はないんだけれど。

イライラを掻き消したくてご褒美的おつまみとワインを買って家路を急ぐ。ドアを開けるといつもと同じ笑顔で武史が「おかえり」と言ってくれる。そう「いつもと同じ」これがいかに救われる事か。怒号とバイオレンスの家で「安心」などどこにも存在せず常にピリついて過ごした幼少期。まるでサバンナの草食動物のように張り詰めて生きなくてはいけなかった過去。

ヴィトンもハワイも縁のない生活だけど普通でいい。いや違うな、武史とのこの生活がいい。結婚してもしなくてもどっちでもいい、この生活が続いてくれるのならば私は何も欲しくない。

だから家族に思うのは

おいおいみんなしっかりしてくれよ
であるのだし

私をほっておいてくれ
であるのだ

だけどその一方「美人姉妹」ともてはやされ楽しかったあの過去は姉が連れて行ってくれのだ。母が姉と私を守ってくれた過去だって確実に存在した記憶である。だから私はスパッと家族を断つことができない。

だって家族だから

不満と
我慢と
忍耐と
労働、

いつの間にか姉が実家にいるのが当たり前になっていたある朝、

再び私は電車に乗れなくなってしまった。

ー続ー
一百野 木香