捌;神様、どうかお導きを。

捌;神様、どうかお導きを。

神様、この世はどうして辛いこと哀しいことがあるのでしょうか?
寂しさも心の痛みも、一人乗り越えようやく辿り着いた安住の地ですら
どうして幸せなままではいられないのですか?
神様は試練と呼ばれるのですか?
もしそうだと仰るのならこの世は試練の連続なのですね。

心が痛みを訴えています。
悲しいよ、辛いよ、痛いよ、と絞り出し哀しく切なく、私に必死に救いを求めて。
私の心の痛みなのに、私はどうすればいいのかもうわからないのです。
幾度も辛いことはこれまでもありました。その度に何とか頑張ってきたと自負しておりました。

なぜ過去形なのか?
信じていたものがあったから、私の砦が心にあったから、だから痛みを一人超えてこれたのだとわかりました。
今夜、その砦が砦ではなかったことを知ってしまったのです。
もう私には帰れる心の場所が無くなった事を思い知りました。

神様、私は信じていたいたものを失う辛さを数回経験してきました。
これだけれは幸せになるには、まだ修行が足りなかったのでしょうか。
私がもっと真摯に生きなくてはいけない試練なのでしょうか。

私は条件付きの愛という、それを愛と呼ぶのかすら疑問な不安定な家庭で育ちました。
子供らしい不機嫌を笑って許してもらうことも、わがままを微笑んで受け止めてくれることもなく、あるのはどう行動すれば怒られず親が満足してくれるのか。幼い頃から失敗を繰り返し学び悟って、たまに褒めてもらってはほっと安心する家庭に生きたのです。

学校で嫌なことがあっても、家で不機嫌な私でいては許されないお家。
家の中は洋風な雰囲気で統一されおり、質の良いもので囲まれた素敵なお家でした。
ただ違ったのは、父や母の想定からはみ出す行動をとると折檻が待っていて、そこでは私がどんなに不出来な娘であるのか、不誠実で嘘つきな、このまま大人になったら手も負えない社会で通用しないダメな人間になる、と延々お説教をされるのでした。

あまり記憶の薄い小学生時代、体育の授業後、男子から言われた一言が私の琴線を激しく揺さぶり、堪(こら)えていたものがどうしようもなく溢れて止まらず、砂場に崩れ落ち、
「どうせ私の気持ちなんて誰もわかってくれない」
そう大声で泣きながらクラスメイトに砂を投げつけ大声で泣いたことがあります。

溜まった悲しさや辛さが一気に吹き出し、休み時間に入っていたので、クラスメイト以外も集まってきていたことにも気がつかず、ただただ、傷ついて血が吹き出しもう私一人ではどうしたらいいのかわからなかった気持ちが、噴水の様に吐き出された記憶だけが残っています。

けれど少し心が軽くなっただけで、日常は相変わらずやってきました。
痛みを負った心を誤魔化しながら何とか表面上はうまく出来ていたと思います。

私を理解し傷つけない、嘘をつかない、穏やかで、優しい人と出会っても、やっぱり心を理解してもらうことは幻想なんだと、これもまた大人になって学んだことでした。
どんなに優しい人でも、何の気なしに発した言葉に傷つくことを知り、これはきっと私がその人に対しても同様のことをしている可能性は十分にある、だから全体を見て安心する人ならば、細かなことは気にしない様にしよう。
これが私が人とうまく付き合っていくやり方と思って今日(こんにち)まで生きてきました。

でもね神様、細かな綻びが発端で、全体の中に誤魔化しや信頼を揺るがす境界線があることに気がついていしまいました。

きっかけは焦ったような誤魔化した怪しい態度でした。
つい私はそこで罪を犯してしまいました。あの人のプライベートを漁ってしまったのです。やはりパンドラの箱には安易に手をつけるべきでは無い、その通りだと思いました。
知ってしまったのです、あの人が嘘は付いてはいないけれど真実を誤魔化して私に伝えていたことを。

そして話し合いができない人だということを。

嘘は嫌、心えぐるとわかっていて発する言葉を使う人は嫌、大声でた他人を巻き込むのも嫌、責めていないのに激昂するのは嫌、

これらの全てが過去のあのお家を、あの日常の空気を呼び起こし、息が上手く吸えなくて辛い。
互いの関係がより良いものになれるよう、落ち着いて一つ一つ解決し、修正しながら優しく温かい世界を保ち続けたかった。私たちならそれができると信じていました。
だからほんの小さな嘘に私は激しく動揺してしまいした。それ以上に激昂する姿に、私たちの未来を夢見ることが難しくなりました。

失うことが哀しい、そんな事よりももっと重いもの。砦を失うのは全く想定外だったので人生がどうでも良くなったのが本音かもしれません。
プライベートを漁った浅ましい私を軽蔑していることでしょう。
怪しい態度を取らなければ気にも留めないいつも通りの世界を進めたのでしょう。

今私は、岐路にいます。どちらに進むのが私にとって痛みを軽くできるのでしょうか。
それがわからず、昨夜は夜道を一人、死に惹かれどう幕を引くのがよいか、取り憑かれた様に死が魅力的かつ、正解の行動であると考え、頭を巡らせていました。

暗い夜道を、自分のペースで歩く私。死ぬことも生きることも選択権は私にあるんだ、そう夜空を見上げ途方に暮れておりました。
死にたいな、終わりにできたらもうあれこれ悩んだり傷付いたりしなで済む、とても魅力的な終焉という行動。

私は何がほしいのだろう?
何があれば満たされるのだろうか?
ふとそんなことを考えた。

嘘の混じらないやわらかな優しさと暮らしたい。
共にいる人を疑わなくていい安心感。

そして一番ほしいもの。
私が不安になったり悲しくなる、これをわかってくれる人。
そして私を悲しませたり傷つけたりしない人。
そう親の無償の愛を知らない私だから、これがと言うものはわからないけれど、きっとそんな類の絆、そうこの人は私を悲しませたりしない、そんな信頼がほしい。

神様、私は頑張ったつもりでした。
相手の気持ちを考えて、自分が嫌だと思うことは相手にもしない様に。
私の作業の手を止めて、相手の話にちゃんと向き合いました。
イライラしそうな日は、より一層気をつけて自己を戒めて相手にイライラをぶつけないよう、怒りをコントロールしてきました。
疲れていても、遊びに出かけたそうな様子を汲み取って一緒に手を繋いで出かけました。

ねぇ神様、父に母にされて悲しく傷付いた事は、私がされて嫌な事でした。
だから大切な人には同じことをしないように努力をしてきました。
真摯に向き合っているのに、どうして嘘が生まれるのでしょうか?
些細な嘘ならば流せば良いのでしょうね。でもそれは果たして私の幸せな世界を続けていくことができるでしょうか、私にはわからなくなりました。

一番恐れているのは、今後相手の発言を信じられなくて疑う私を、私はしんどくならないでしょうか。
それとも、それを超えることが私に与えられた新たな試練なのでしょうか。
その苦痛を負っているのは私だけのような気がして哀しい場合はどうしたらいいのでしょうか。

考えてるとどうしても人生を生きてく価値が曖昧になってきてしまいます。
幸せとは何ですか?そういろんな人に聞いてみたいです。
私が幸せだと思っていた、やっと探し辿り着いた砦と思ったものも、最後のものではなかったのですね。生きるとは何気ないことから思わぬ事態へと転がるものなのですよね。
何度経験しても辛いものですね。

砦が心の支えとして側にいてくれたから、辛くても死にたいとは思わなかった。
私の心が何度目かのポキッという折れた音を聞いたけれど、今回の音は今までになく大きく私の今まで生きてきた根幹を揺るがす大きな大きな、ひょっとしたら再生不可能なほどの音がはっきりと聞こえました。

神様、結局独りで生きていくことが究極に人が幸せになれる最終形態なのでしょうか?
それとも一人静かに死に向かうのが究極に幸せになる方法なのですかね。
摩擦も起きず、傷つくこともなく、あたたかく柔らかなものに包まれて生きるには。

頑張ってきて、支えだった砦も違うと知ってしまった今の私には、再び自分の足で歩いていくのがとてつもなく困難で、歩く意味があるのかさえわからないのです。

今夜も一人夜空を見上げ考えてみます。

きっと神様は仰いますよね。
少しづつでいいから、歩き始めなさいと。
これがこの世に命を受けた者の定めなのだと。

頑張って生き切ったら楽園へはいけるのでしょうか。
いつになったら私の心に傷がつかない日が来ますか?

神様、お願いします。
もう心の痛みが限界を超えました。
生死について考えることに疲れてしまいました。
人を信じるということすら幻想だったのだと。
絆や信頼とは蜃気楼だったのではないかと思っております。

再び私は独り歩く力がまだ残っているのでしょうか。
今の私にはもう力がどこからも湧いてきません。
あるのは気力を失った心だけ。

楽しさも喜びも、笑い方すら思い出せるか自信がありません。
幸せとは何ですか?
愛とは?

人を信じるのはもう疲れました。
もう手放して生きた方が楽なのでしょうかね。
それを考えることすら今はしんどくて辛いです。
神様、どうか、どうか、楽園へ導いてくださいませんか?
もう十分私は頑張ったのではないでしょうか。

信じていた私の心
傷付いたと責める相手
もうどちらが正しいとか
どうでもいいのです

再び相手を私が信じることができるか
それが足元から崩れてしまいました
この深い暗闇へ落ちた私を
あの人は私が悪いと責め立てます

もういいですよね?
側にいても愛を安心を感じられないのなら

難しいですね
楽しく明るく生きていたら
誠実に真摯に生きていたら
大切に思って接していたら
相手に届くものだと
そう信じておりました

安住の地というものが本当に存在するのであれば
この疲れ果てた私を身体ごと運んでほしいです。

神様、どうかお導ください。
この空っぽになった私ごと。

一百野 木香