玖;愛だと思ってた

私に触れる優しい指先も
私を包み込む頼りがいのある腕も
私だけに紡ぐ静かに溢れる情熱も
全てが愛だと思ってた

初めての恋だった
そこには誠実しか存在しない
純粋で混じり気などなく
美しいとさえ感じていた

残念なのは
私は誰の目にも若者で
彼は誰に目にも大人で
他者の理解は得られない事だった

出会いはよくある話
生徒と先生

私は中学生だった。
世に溢れる様々なジャンルの才能や発想の素晴らさを誰とも分かち合えず、一人感動を体内に抱え、大して興味のない原宿の新しくできた店の話をさも楽しそうに友と語る、退屈で平凡な毎日であり、同年代の男子をどこか馬鹿にしていた。

単なる思春期だったのだろう。自分は同級生のように幼稚ではないと感じることが優越であり、私という個性であり、オリジナリティだと勘違いしていた。思春期にありがちな頭でっかちで自分しか見えていなかっただけの話。

世の男たちを下に見ていた。
相手にするのも馬鹿らしく汚らわしい。
あの人たちは感情や感動を理解できる知的レベルにいないんだもの。
毎日電車に揺られ、大半を社会という名の会社で時間を潰し、重くなった体を抱えまた電車に揺られ帰路に着く。楽しみはくだらないコメディや酒やアダルト、もしくはゲーム。
残念だけどミュシャの晩年の作品を語り合えるとは到底思えない男男男だらけ。

だけどあの人は違ったの。

言ったわ、
雨の匂いが春に変わったね、と。

驚きを悟られないよう鼓動を抑え、余裕のある笑顔であの人の横顔を見て私は答えたの。

そうね、と。

あれからだった。
彼と色んな話をした。
どれもとても楽しかった。

映画のシーンや小説の解釈だけでなく、川久保玲の素晴らしさも、マイケルジャクソンがどれほどキング・オブ・ポップだったか語り合えるのよ?信じられる?
あぁ、下半身だけでなくちゃんと脳で感情を語り合える異性がいるんだ、という新鮮な驚きと同時に、やっぱり私はまだ中学生で世の中を知らないのだ、そう己を恥じた。だって周りの男子は大抵下半身で生きていたから。

だから一度も彼を「先生」と認識して会っていなかった。
そう、先生は私の知らなかった知的で理性のある大人の男性で、私が初めて真剣に人を好きになった相手だったの。

彼が私に肉体を求めないこともまた「彼の知性」と思っていた。
私が未成年で生徒だから越えてこない、でも確実に彼の愛を感じ取っていた。だから私から彼の手を取り言ったの。

お願い、愛しているなら形で示して?
そう、私から誘い、あの日私たちは溶け合ってひとつになった。

わからなかった、少女が好きな癖(へき)だとは。
彼は少女が好きだった。少女に自分を信頼するよう働きかけ、そこには愛の介在し、愛しているからこその同意の行為と洗脳し落とすところまでが彼の楽しみである、という歪んだ癖。

長くは続かなかった。
でも愛が冷めるとはこういう事なのだと、知った風に納得し綺麗に私から引いた。
人生の中の一つの恋愛が終わっただけで、不自然にすら思わなかった。
真実は、彼のハント欲が満たされ私に興味を失っただけだったんだけど。

あれから月日が経ち、世の中下半身に支配されている男ばかりじゃない事をちゃんと知り、互いの感受性をやりとりできる男性と出会い結婚をした。

ロリコンという言葉も意味も知っていたし理解もしていた。

彼からは支配も被害も受けた記憶が全くなかった。けれど小骨程度の違和感は確かに感じていた。でもそれは私が恋愛に慣れてない小娘だからであって、彼がおかしいとは思わなかった。

全く気がついていなかった。
大人が少女を対象に真摯に愛し合おうとする「異常」について。
あの頃私は、彼との間には純粋な愛が存在してはいたけれど、隠さなければいけないのは、私の年齢が低過ぎるからだと。

私は彼と綺麗に破局しておいてよかったのだ、きっとね。

私が「大人」になり対等な関係でいられるパートナーを見つけ、婚姻し子が誕生したからこそ、気が付いた彼の「異常」であった。

私は娘を産んだ。彼女は順調に幼女が少女へと育ちつつあったある日。

ふと気がついたのだ。
来年、娘は当時の私と同い年になる事に。

口を抑えなければ悲鳴が漏れ出していただろう。

考えられない事だった。
「娘の歳」の「少女」に愛を語るだなんて…

信じられなかった。
「娘の歳」の「少女」と体を重ねるだなんて…

これはとうてい「成人した」大人のする行為ではない事に、前触れなく気がついてしまったのだ。

そう彼は私を愛していたのではなく「少女性」を愛していたのだ。しかも脳内で止める事をせず、実行に移す教師…、私があの当時忌み嫌っていた「下半身に支配されている男」そのもではないか。

今私は、夫に内緒でカウンセリングに通っている。

娘が危険に晒されないかという恐怖、
私の体も心も汚されていたことに気がついた嫌悪、
それでもなお彼との間に真実の愛があったとどこか信じている自分、

矛盾する感情に弄ばれ、途方に暮れた私は体を鍛え始めた。
体を筋肉で纏い私の女性性を消し、汗と一緒に私の汚れが流れ出たらいいと願って。

カウンセラーは言う、矛盾を矛盾のまま受け入れてみないかい?過去に戻ってやり直せないし、あなたが間違っていたわけじゃない、あなたは何も知らぬままに被害者となっていたのだから。

被害者…、そうか私は被害者なのか

でもその気持ちもしっくりこない
あの時の私は彼を真剣に愛していて
あの気持ちに嘘はなかった
やっぱり愛があったと思ってしまう

もし私が独身だったら?
もし私が子供産まなければ?
きっと過去のほろ苦い初恋の思い出として終わっていたのだと思う。

愛って一体?

まっとうな愛しか知らない夫
幼きはじめての恋が歪んだ愛だった私

そこに開きがあるから
やっぱり夫にも言えない

だって私が混乱しているの

真実の愛だと思ってたからね
悔しいけれど今だって少しね

癖と片付け嫌悪で終わらせるには
名残惜しいくらいに
私は真剣だったから

やっぱりあれは愛だった

そう思いたいだけなのかもしれない
私が私を汚さないためにね

一百野 木香