壱;最高の目標をお前にくれてやる

壱;最高の目標をお前にくれてやる

ある日、とうとう恐れていた一線を超えてしまった。
我に帰った時にはもう全てが後の祭りだった。とんでもない事を、私はやらかした。

息子の頭部に、息子が授業で作った陶器を、重量のある、彼自身が作った作品を、
怒りの衝動を押さえ切れず感情の波に抗おうともせず、躊躇なく思い切り振り下ろしたのだ。
額を、私自信が青ざめる程の量の血が伝う。

どうしよう、どうしよう、どうしよう…

いつもそうだ、自分の感情を抑え切れない。
ついつい小言から、己の感情の昂りに翻弄され怒りを増し、憎しみの赴くままに彼を暴力で支配してしまう。
後悔。そんな二文字で片付けられたら、痛みと苦痛で支配された方はたまったもんじゃない。
幼少期は「お母さん、ごめんなさい、ごめんなさい、もうしません、許してください」泣きながら、細い両腕で私の暴力から逃げようと必死だった息子。

いつの頃からだろう、彼が自分の人生に興味を失ったのは。
いつからだろう、彼が私を憎しみと怒りを込めた鋭い目で睨むようになったのは。

最近では、覇気を失い淡々と感情もなく虚な瞳で、ちらりと一瞥するだけ。捨てられる、このままだと息子が離れて行く。
いいやもっと事態は深刻だ、彼は私を軽蔑し、憎しみを溜めている。
わかっているのに、彼が私の暴力に怯え謝る必死な姿を見れば見るほど、怒りが暴走しエスカレートしていく。
その惨めな姿が、子供の頃の私の姿とそっくりだから。
母に殴られ泣いて謝る姿が重なる、だから過去の自分が哀れで許せないのか、彼自身が哀れで腹立たしいのか。

息子からしたらどっちだっていいだろう、矛盾でしかない。
謝れ!どうしてお前はこんなことすらできないのだ!私を馬鹿にしたような目で見るな!わかったなら謝れ!
だから必死で怯え泣きながら「ごめんなさい、ごめんなさい」と謝るのに、いくら謝っても母の暴力が止まないのだから。
私は果たして息子に怒っているのだろうか、感情が怒りに支配されている間はもう、誰に怒っているのか、なにに怒っているのかわからない。
ただ、ただ、目の前の怯えている惨めな姿の息子が「憎い」

ああ、母もこうやって育てられたから私を暴力で育てたのだ、気付いていた。
だからこそ大切に育てよう、母のようにはなるまいと、決めた私が私を見失い拳で支配する事をやめられない。
毎夜反省し寝顔を優しく撫で、あどけない柔肌に罪悪感と心底の反省を耳元にささやく。ああ、明日こそ怒らないでいられますように、頼むから誰でもいいから私の怒りを止めてください、そう願いまぶたを閉じる。
だが、愛し許そうとすればするほど、「愛され許され」生きる彼が憎くなる。
私は許されなかったのになんで息子は許されるのだ?

もはや地獄だ。彼も私も。家庭に二人しかいないのだ。逃げ場などない。

そう、彼の父親だった人は私の感情の荒波に「もう疲れた」そう言い2度と戻らなかった。
あれほど幸せを噛み締め、母とは違い私は幸せになるんだ、そう決めた相手だったのに。
だからこそ、私に残された最後の「愛」である息子だけはちゃんと大切に育てよう。そう誓ったはずだったのにこの様だ。

やはり私は「愛」に愛されぬ運命なのだ。

愛から見放された愚かな人間が子育てをしたのだ。
その結果、息子は将来という希望を描けず、私を母と認識する事をやめ、心の中で軽蔑し見下し憎しみを抱き、暗い瞳で淡々と息をしている、生きてなどいない。
もはや生きる事すら興味を失っているようにしか見えない。

私も昔そうだったから、彼が密かに私を軽蔑していることも、人として最低だと思っていることも、なんなら私を人生から排除したい事も「察していた」。
夫だった人を繋ぎ止めようとした時もそうだった、彼もまた私を軽蔑し私の人生から去ったのだ。
なにも学ばず、息子をつなぎ止めたい一心でまたもや暴力という「恐怖」で縛ろうとした、救いのない愚行。

あの日、彼は頭部を3針縫う怪我を負った。

しかも加害者は実母である私だ。だが私は確信していた、外での私は優しく怒ったことなど一度もないであろう母親に「見える」事を、そして息子が真実を言っても信じてもらえない事を知っているから、争うことをはなからせずに私を庇うだろう事も。
思った通りだ、息子は「本棚の上に置いていた陶器が落ちて怪我をした」と、私の理想の回答をした。それは決して私を庇いたいわけではない。
誰が犯人でも、どうでもいいのだろう。
自分の人生に興味を失い生きているのだ。
反抗心さえ失って息をしているだけなのだから…

奴は絶対「私がやりました」などと告白などしないとわかっていた。
俺は母をいや奴を捨てる日を、ただそれだけを楽しみに生きている。
何のために生まれたのか、散々考えたが無駄だ、それよりもどうやってあいつを見捨ててやろうか、その手段を想像する方が何億倍も愉快だ。
俺はどうやって生きていきたいなんて望みはない、あるのはあいつを絶望へ突き落としてやりたい、それだけだ。
しかし奴は高校へ行けと命令する。
たいした頭もないくせに、学歴主義を得意満面に聞かせやがる。
あいつまじで最低だな、さぁどうやって俺の人生からあいつを消してやろうか、楽しみに待ってなよ。

息子は高校受験にことごく敗れた。
やってしまった、追い詰めたのだろう身に覚えのある後悔。
どうしよう高校浪人?働くの?塾に通うの?近所で噂になってしまう。
ぐるぐるまわる「こんなはずじゃなっかた」という言葉。

あいつ、あせってやがる、最高に笑えるよ。
あいつが俺を鈍器で殴った日、偏差値の高い高校へ行け、何で勉強しないのか、口から泡を飛ばし喚いてたよな。
笑えるよ、俺の望み知ってるんだろう?察してたよな、
そうだよ俺の人生からお前を抹殺するのが俺の夢、そしてお前を徹底的に絶望させるのが最大の目標だ。
まずはお前の指示で受けた高校、全部落ちてやったぜ、どうだ最悪の気分だろう。
楽しいな、あいつが苦しむ姿を見れば見るほど俺は力が湧いてくる。

これが生きてる実感てやつなのか?

だとしたらすげぇな、無敵じゃん。笑けてくる。
もうお前に一方的に殴られてた俺はいねぇよ、お前の偽善だらけのお題目など聞く価値もない。
さあ、次はお前を止めを刺さない程度の病院送りにしようと思う。

どうだ?良い母親の面で生きてきたお前だ。
自分の息子に半殺しの目に遭わされ、虐待の事実が明るみに出るなど到底耐えられない地獄だろうな。
やべぇ、力がどんどん湧いてくる。
さぁ、一丁片付けるか、俺が俺の手で捏ねて作った「鈍器」でお前を俺と同じ奈落に突き落としてやるから、待ってろよ。
最高の絶望をとやらをお前にくれてやる。

ああ久しぶりに気分がいい。最高だ。

一百野 木香