参;餌付け。後編

にわかに信じがたいだろうが、新人さんと私の間に体の関係は全くなかった。
自分の肉体を晒す自信がないのはもちろんだが、それ以前に新人さんにそんな事を望んでなどいなかった。

なぜ?

そうだ、なぜだ?散々餌付けをしても距離が変わらない。割りに合わない、そう思うのが普通だろう。自分でも不思議だったがある時気がついた。
マッサージを受ける事は肌と肌が触れ合うのだ。新人さんの手の温もりが直に私に伝わることで満たされていた。

なぜ?

人肌が恋しかった、このまま誰とも触れ合わぬまま人生の終焉へと向かう事が。
性的なものではなく心的に単純に温もりが欲しかった。
だから新人さんが整体を介し私に触れる事で心的欲求が満たされた。

だが新人さんが奢られる事が当たり前になるのと同じく、私もまた新鮮さが褪せ物足りなくなってきた。
お礼の代わりに手を繋いでくれたら、ほんの少しでいいから抱きしめる事を許してくれたら、それだけでいい、それ以上の事は求めていないと伝えるもやんわり断られる。
だが代わりのつもりか、満更でもないようなLINEを送ってよこし、再び私との会話を楽しそうに演じる新人さんは、良くも悪くも正直で、私の財布が大事だという事が露わになるだけだった。

皮肉なもんだ。
餌付けをしていたつもりが餌付けされていた。

気づいた時には全てが遅かった。温もりという餌を前に「GO」の指示を待つ従順な飼い犬の立場に成り下がっていた。

手放すのは惜しくどこか勿体ない気がして会う事がやめられなかった。人恋しさを人以外で埋める事ができない、それに気がついた時はもう戻れなかった。
新人さんの存在が大きくなっていったと言えば聞こえはいいが、本心はやはり散々貢いでやったのに手さえ握れない、苛立ちが膨らんでいく。

ネチネチと一般常識という名の愚痴を吐く事が増えた。だが不機嫌を前にしても食事を断らない新人さんの図太い神経に呆れ、自分は貢がれるだけの価値があると勘違いしているようで、不満だけが溜まっていく、もう潮時なのだろう。
だが私の相手をしてくれるのは新人さんしかおらず、執着が判断を鈍らせる。
伝票を掴む財布にしかなれない自分にとうとう耐えられなくなった。

もう会うのをやめよう。
君は大人のルールを守れなかった。
おごられたらお礼をするのは常識だよ。何度も教えたよね?
今まで払った金額を全て返せと言うほど野暮ではない。
だが君の態度はあまりにも配慮がなさすぎた。
だから慰謝料を請求しようと思う、支払いを拒否するのであれば店長に相談をさせてもらうよ。
甘い汁ばかり吸っていると痛い目に合う、これが大人の常識。
勉強代だと思って諦めた方が君が失うものが少なくて済むよ。

「わかりました。大事な事ですからよろしければ部屋で話しませんか?」
強く言いすぎたか?少し罪悪感がよぎり、誘われるがままに部屋へと入った。
あろう事か新人さんに抱きしめ押し倒された。

あなたが求めた答えはこれでしょ?やれやれ仕方ない、一度くらいご褒美が必要だね、そんな本音が聞こえてくるほど、あっけなく、そして忙しなく。

「満足した?」若々しい肉体を見せつけながら見下したような汚らわしい笑顔を私に寄越した。

私が一度でもこんな事を要求した?しかもこんな愛のかけらもない動物の生殖行為のような事を。緩んだ肉体がもはや滑稽でこんな仕打ちに値するかのように見え泣けてきた。

餌付け、そう初めに君を見下し優越感で金を与えたのは私だ。

私が今感じている屈辱は、君が私と並んで歩くみっともなさと同じだったのだろうか。
自分がされて嫌な事を相手にしちゃいけない、そう娘に言ったのは私。
世間をまだよく理解していない若者の時間を金で買ったのは私だったんだ。

まだ若い新人さんと並んで歩く姿を同世代に見せつける優越感。
自分はまだくたびれた中年ではなく現役なんだ。
互いの損得が釣り合っただけの純粋などという美しさのない関係。
金の切れ目が縁の切れ目。

「失うものが大きいのは君じゃないね、私だね。」

「え?」

もう考える事がしんどくなった。

あんた私の娘と同い年だよねえ…よくも母親と同じような女を抱けたな…腐れ外道とはお前の事を言うんだよ…知ってたよ可愛い娘とすれ違うとき道譲るフリして誤魔化してただろう…痩せなよもう少し…あんたは背中をマッサージするとき言ってたな…これじゃ後ろ姿がまるでおばさんじゃん俺と歩きたかったらもう少し努力しなよって…だからしたんだよ脂肪吸引もリフトアップも…その努力さえお前はそんな無駄な金かけるなら俺にくれればよかったのにって言ったよな…こんなクズに金を与え続けた見返りがこれかよ…お前動物以下だなこの最低野郎…図に載ってんじゃないよ…あんたはまた誰かと出会えるだろうが私はもう後がないんだよ…絶対にお前を幸せになんかさせるもんか…絶対にしあわせになんか…ぜったいにしあわ…ぜったいに…ぜった…はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ。はぁ、はぁ…は…ぁ…

気づいたら、言いたい事全部ぶちまけていた。

私は仕事が面白かった、だから女としての旬をとうに過ぎ、気がつけばまわりは家庭を持っていても気に留めもしなかった。
だが、会社を残したいなら継ぐためにも子供が必要、焦り周りを見渡し見つけたのが家人。
大学の同期の残り物同士くっついただけ。デートなんてときめきも、お洒落してでかけることもない。

私は今ごろになって恋愛したくなったんだ、認めるのはシャクだけど。

細身で背の高い新人さん、その彼と体重が同じ低身長の私。
落ちない贅肉にイライラしたが、役に立ったもんだ。

私から金を吸い尽くした証拠、一つ取得漏れの免許を偽り就職したこと、店に彼の両親にも協会へも全てぶちまける予定だった。はなから許そうなんて思っていなかった。
彼が少しの慰謝料で解放され、真っ当な恋愛をして幸せになる将来なんて、想像しただけで許せなかった。はなから社会的に抹消させ息の根をとめてやるつもりでいた。

まさか実際に息の根を止めるほどの力が私にあるとは思ってなかったけど。
頑張ればなんとかなるもんだ。仕事がそうね、小さいながらも私は一国一城の主人。
相手に遠慮などせず、行動にうつすのは昔から得意だ。

清々しい気分に酔いしれている時間はない。
バレずに車まで運ぶ手段を考えなくては。

ー完ー
一百野 木香