陸;青年は清らかな光合成で生きてる

陸;青年は清らかな光合成で生きてる

今宵は『起承転結』で構成されたとある青年の物語を君に聞かせようと思う。

さぁ遠慮せず食してくれたまえ。
私はようやく手に入れたこの貴重なコニャックを味わいたいのでね。
君も好きな飲み物を、そうだこのベルを押したまえ。

私のいつもの気まぐれだ、遠慮せず自由にやってくれたまえ。
ただ一ついいかね?
これから話す青年の物語に耳を傾けるのだけは忘れないでくれよ。

”起承転結とは物語構成を差すがもとは漢詩の構成法である”
 起・話の設定(私から青年の状況を説明)
 承・話の始め(青年の人生が流れ始める)
 転・話の流れ(青年の人生が変わる流れ)
 結・話の締め(物語は終焉へと流れ着く)

さぁ、まずは『起』からはじめるとしよう。
君の用意はいいかな?
よろしい、でははじめよう。

青年は黄色い飴を作る職人だと話した。
私にも飴職人の知り合いは何人かいるが、色付きの飴を作る職人に出会ったのは初めてだったから思わず「ほぉ」と声が出たよ。
君も話くらいは知っているだろう?有害物質を無毒化する能力者である色付きの飴職人の事。
色によって価値は違うが、地球上に存在しない貴重な資源なため国が全て買い取り、管理しているあの飴さ。無色透明な飴以外、私ですら実物を目にした事のない貴重な品。

青年がさらりと身分を明かしたので驚いた。

飴を作る能力については、誰にも等しくいつか訪れる可能性がある。ある日突然有害物質を無毒化する細胞が体内に生まれ、手から飴が生まれる事で気がつく。だがほとんど人は無色透明の飴しか生み出さない。

ごく少数の人間だけ「色付きの飴」を作る事が出来、それは特殊能力とも言える。飴職人全員に言えるのだが一つ出来上がる度に寿命を削る。それが色付き飴職人だとなぜか寿命を大幅に削ってしまう。

なぜ色のついた飴を作り出せるのか、そして作る代償にどれだけ命が削られるのか、それらは今の科学では解明できず、飴職人としての人生を否応なしに生きなくてはならない理不尽な能力でもある。
無色透明でも色付きでも、飴を作り出す細胞は、体内にある日突然生まれ増殖する。助かる方法は一つだ、細胞を体内から消し去るだけ。
しかし色付き飴を作り出す細胞全てを体内から消し去る方法はまだ発見されおらず、残念だが色付き飴職人は大抵あっという間に死へと運ばれる。
すなわち色付き飴職人となったという事は、短命を言い渡されたも同然という残酷な運命。

なのに私に目に映る彼は、死とは対極の場所にいるようにしか見えず、私は好奇心が抑えきれなかった。

良かったら君の話を…死と背中合わせである色付き飴職人の人生を、私の目には穏やかに映る君の辿ってきた物語を聞かせてもらえないだろうか?

青年は穏やかに微笑み、言った。

変わった方ですね、大抵は色付き飴職人と知るとみな遠慮して質問してこないから。
いいですよ?僕の話でよければお話ししましょう。誰かに改まって話した事がなかったので僕も語ってみたいかも。

特殊能力を得たきっかけはわかりません、これはどの飴職人も同じです。
能力はある日突然生まれるもので、原因はわからないがそういうもの、という事以外全くわかっていないそうです。
だから国の色付き飴職人を研究する機関の方から言われた時は、え?僕がですが?と驚きました。
もちろん色付き飴職人の話は知っていましたし、彼らの担う役割ももちろん。
ただ黄色い飴が死がそんなに早いものとは知らなかったので、死と隣り合わせの能力だと告げられた瞬間、なんだか他人事のようですぐには受け入れられませんでした。

だってその瞬間まで、僕には大学生という肩書きと暮らしがあったんです。なのに突然、手から黄色い飴が生まれたんですから。
色付き飴職人の能力者だと言われ、さらに生き方まで指定されて戸惑いしかありませんでしたよ。
そりゃ、いつか無色透明の飴職人になる可能性くらいは考えた事はありますよ?でも色付き飴職人になるなんて想像すらしませんでしたから。

初めに襲ってきたのは月並みですが絶望です。
まだ月並みは続きますが、「死にたくない」という本能の雄叫びのような感情が立ち上がって、草原の草のように生きていた僕にもそんな感情が湧くのかと正直驚きました。

あなたは今日から色付き飴職人です。
もう大学生には戻れませんよ、そう言われたその瞬間から、僕の人生が紀元前・紀元後かってくらい唐突に真っ二つに割れましたから。

草のように争い事を避け、微笑みながら人生を生きてきたし、自分の人生は僕が決めて生きているものだとばかり思っていたから、こんな風に突然筋道を変えられるのは予定外すぎて、腹立ちを覚えました。
僕の人生を物語の起承転結で表現するなら『承』かと思いませんか?
でも飴職人になった事は、実はまだ『起』だったんです。

青年はそう微笑んだ。
いいかい?物語はもう流れ始めているんだよ。
青年の人生の物語がね。

あの瞬間から、世界がまるで違って見えるようになりました。
目に飛び込むモノ全てが眩しく輝き…大袈裟ではなくて、本当にキラキラと輝いて見えたんです。道端の花にも、散歩をする犬にさえ、嫉妬しました。

でも何よりも眩しくて仕方がなかったのは、僕と同年代の人が何食わぬ顔で動いている姿です。本来なら僕もまだ死を考えるには早すぎる年齢で、あの人たち同様に、生きていることすら意識せずに暮らしていたんです。
どんな職につくのか、将来を、夢を、友と語り、時に世間を皮肉り、青春ってやつを謳歌する事が貴重だとすら気が付かず日々を消費していたはずなのに。

負けた、と思いました。勝敗がついてしまった気分でした。

だって僕の職業は色付き飴職人で、黄色い飴を作る度に命が削られ、いつ死ぬか医者もわからないなんて、詰みですよ詰み。恋をする事も誰かと人生を歩むことも、そもそも将来そのものを描く事を諦める以外無くなってしまったんですから。

だから親子連れなんて手の届かない存在だし、老人を見れば苛つくし、外に出るのが怖くなりました。神経がピリピリし、誰彼構わず怒鳴りたくなる衝動が僕を襲いました。

犯罪者の命より真面目に生きている僕の命の方が重いはずなのに、なんで奴らは生きている?あいつらが黄色い飴を作ればいいじゃないか、なんで僕なんだって。
あまりにも意味がわからなさすぎて運命を、神を、呪いました。
まぁ、僕は無神論者なんで、どの神なんだって話なんですけど。

それからしばらく、僕は部屋に籠もりました。
とにかく生きている全てが憎いし腹が立つし、劣等感と敗北感しか持ち合わせてなくて、もうなんだか、死にたくないのか、生きていたいのか、それすらよくわからなくなってしまって。
って言うか飴職人って何なんだよ、意味わかんないよって。
外から聞こえてくるパレードの音が五月蠅いから耳を塞ぎ一日中誰とも会わず泣いていました。

研究機関の話だと、僕の年齢で色付き飴職人の能力者になるケースは非常にレアで、正直どのくらい生きていられるかデータがないそうです。
飴職人の能力は地球上に存在する『有害物質』を体内に溜め、飴サイズに圧縮し無毒化できるんだそうですよ?命と引き換えに。

じゃぁ生きるために飴を作らなければいいんじゃないのか。

そういうものでもないらしく、能力者となったら勝手に有害物質が体内に溜まってしまうので、排出しなければこれもまた死へ向かうだけ。だから飴職人になる以外なくて、しかも有害物質から貴重な資源を生み出すという、人ためになる皮肉な細胞で…まるで光合成する植物じゃないですか。

能力を消す治療というものはまだ発見されていない、わからないが一年程度と考えて、なるべく有害物質を溜めないよう、あとは美味しいものを食べて、会いたい人に会ってできる限り人生を謳歌しておきなさい。

言いにくそうに言葉を選び話してくる機関の人に、気を遣わせている僕という存在自体がなんだか申し訳なくなってしまって、なんでこんな能力を授かったのか再び運命を呪いました。

相変わらず部屋から一歩出た世界は眩しくて平和で美しく、その世界そものもが僕には地獄にしか見えなくて、小さな部屋だけが僕の平和な世界になってしまったんです。

そうあの日から。

僕の物語が足元から崩れ、急に結へと向かう終わり二行分くらいを生き急ぐ気分でした。物語が『結』の急流に呑まれ唐突に終焉へ一気に向かってしまい、僕の人生なのに僕が自力ではどうする事も出来ないと知った絶望を癒すのは僕の部屋だけでした。

それでも人間は慣れる生き物なんです。
僕はそうでした。

はじめは寝ることが怖くて一睡もできなかったのに、そのうち朝目覚めてほっとするようになる。
それが続くと、次第に生きている安堵がやってきました。
大丈夫だ、なんとなるんじゃないか?と。安心感からくる悦びが体の隅々に充填されて、もっと楽しいこと、もっと美味しいものを「生きているうちに経験したい」という欲が次々と湧いてきました。

不思議なんですけど、知らない楽しさや、初めて出会う美味しさに感動し躍起になっているうちに、「死にたくない」という気持ちが薄らぎました。そのうち死にたくないという感情が全く僕の中から消えたんです。

それどころか、この特殊能力のおかげで地球上の有害物質が無毒化されるなんて、人類のためになってる僕は、ただの大学生でいるよりよっぽど意義のある人生なんじゃないか?とちょっと誇らしささえ芽生えました。

これが君の『承』になるのかな?

いや実はまだ先です。
若年齢の能力者は少ないけれど僕は長期生存をしていますから。
僕の人生の物語はまだ少し『起』が続きます。

もうすぐ30代に入るんです、色付きの飴を作り続けて。
僕はこう考えたんです。
珍しい能力とはいえ、世界中に溢れている数多の有害物質の全種類を僕が無毒化できる訳じゃない。僕ができるのは黄色い飴になる物質だけ。
他にも沢山飴の色はあって、世界中に能力者がいます。色付き飴職人界でなら、僕だけが「黄色い飴」を作れる訳じゃないんです。

国内だけでも黄色い飴を作れる人は他にもいますからね。
僕だけが特殊能力を授かった不幸な人間なわけじゃないって事実を、数字で見て知ってほっとしたんです。
世界中に目を向けれは色付き飴職人はもっといて、例えば紫色の飴を作れる職人は世界でたった3人です。でもオレンジ色の飴を作れる人は、黄色い飴職人の3倍いるし、無色透明の飴職人になれば世界中に膨大にいて…何色の飴を作れるかの違いだけなんだと。

僕ひとりだけが特殊能力者になったわけじゃない。
そう僕は不幸で可哀想でお気の毒な、たった一人の色付き飴職人じゃない。

僕ひとりじゃない。
そう考えるのが好きですなんです今も。
僕の中で人生の深刻さが薄れて、感情がマイルドになるんです。

ただ楽しいことを考えて、繊細で綺麗なものを食し、嫌いなものを遠ざけて、ラッパを吹いて陽気に街を練り歩くように生きたい。
草原の草のように生きたいと思っていた僕に、光合成のような能力が生まれるなんて、お似合いすぎるんじゃないか人生よ。そう皮肉も忘れずに、そして人類のために有害物質を無毒化して、ちょっぴり誰かの役に立っていると僕を納得させ続ける事にしたんです。

時々やってくる内臓の痛みで、「あぁそうだった、僕は飴職人だった」と気付く程度の軽さが僕は好みなんです。あなたが興味を持ったのは、僕のこういう所なのかもしれませんね。

確かに君の佇まいに惹かれたのだが、依然として飴職人である事に変わりはないのだろう?
でも物語は今も流れている、だからこそ君の口から紡がれていて『結』はまだ訪れていないのだろう、とても素晴らしい物語じゃないか。

君もそうは思わないかね?
物語を進めよう。
飴職人となった青年の『承』だ。

飄々と草原の草のように生きている僕にだって、色付き飴職人になって変わってしまった悲しみはありますよ?

二度と戻らないものは、特殊能力者以前の僕が感じていたであろう「喜怒哀楽」です。
昔のアルバムを眺めても、好きな映画を観ても、曲を聞いても、その時代を過ごした光景や記憶は蘇えっても、僕がその当時感じていたであろう感情が全く思い出せないんです。
写真の中の笑顔を僕を見ても、飴職人しかも色付き飴職人になる未来なんて知らずに、笑ってるんだよなって、なんとも不思議気持ちになってしまうんです。
過去の記憶は全て、色付き飴職人としての僕の感情として、しか振り返ることができなくて、感情そのものを上書きされた感じなんです。

そして死にたいとは思わないけど、長生きしたいとも思わなくなりました。
まぁ元々命に対する執着はなかったので、自然なのかもしれませんけど。
でもあんなにも強烈に、死にたくないと思ったあの時の僕の感情は、何だったんだろうって。

でも確かにはっきりとそう思ったんです。
生きたい、じゃくて、死にたくないって。

そんな感情を持ち続けていたら参ってしまうからなのか…防衛本能なのかはわかりませんが、今は特に死に対しては、来るべき時が来たら受け入れるんだろうと漠然と感じるだけなんです。
実際その時が来たらわかりませんけどね。
ただこのまま時が進み、いざ死が顔を覗かせたときは、できるだけ苦痛な時間が少なければそれでいいやって感じなんです。
何がなんでも長生きしたいとは思いません。

『結』へ進むまで正答はわからないが青年は話を続ける。

あとは僕が色付き飴職人である事を吐露した事で、今までの友人知人の関係が勝手に整理されたんです。
あれも初めての経験でした。
そっと距離を置く人もいれば、連絡がぱったり途絶えた人、知る前と変わらない人。自身も実は色付きではなく無色透明飴職人なのだと告白する人は案外多かった。
今も続いている人もいれば、もしかしたら僕はもうこの世にいないと思っている人もいるんじゃないかな。

生きているってどういう事なんでしょうね?
誰かの記憶にあるから存在しているって考えるならば、その人にとっての僕はもう生きていないけど、でも実際の僕はこうして生きているんです。

寂しいというより、気持ちがわかるのでそういうものなのだろう、という感想でした。
だって僕だっていきなり告げられたら、励ましていいのか、一緒に泣けばいいのか、何気ない会話が禁忌に触れないだろうかと考えるでしょうからね。付き合いそのものが無理と察し、逃げる人がいても不思議じゃないです。

青年は人ごとのように穏やかに笑みを携え自身の人生を語り続ける。
色付き飴職人として生きるとは不思議なものだ。
人生と似ているのだろうか?

年齢や環境や色によって、同じ色付き飴職人であっても同じではないのだ。同じペースで飴を作り続けても同じ結果とは限らない。
同じ家庭に育ったからといって同じ人生を歩まぬ事と似ていると感じた。

これでも全く足掻かなかった訳ではないんです。
僕と縁もゆかりも全く無い赤の他人である研究機関の方々が、真剣に僕が長く生きられる道を考えてくれました。細胞を体内から消す手段を懸命にね。

生きることを捨て、色付き飴職人として全うしようと諦めていた僕の命を、他人がこんなにも助けようと思ってくれる事に驚きました。だって放っておいても手をかけてもどうせ短命なのに、なんで身内でもない人たちが一生懸命考えてくれるんだろうって。

あの時僕はとても心を動かされたんです。

感動とか感謝なんて陳腐な言葉じゃ足りない…こう美しく清らかな魂というのか、とにかくそこには尊さしかなくて、あれは紛れもなく僕の人生に起こった『承』だと思います。

明らかに僕は影響を受けたんです。志ある美しい尊さに触れてしまった感動。
彼らに恥じないように、僕が生きている間はせめて清く生きなくては申し訳ないと心に誓ったんです。

草原の草のように生きてきた僕にだって、今までも人生の選択を迫られる出来事はもちろんあったんですけど、この年齢でいきなり死が近くなってしまったら、今までの出来事なんて僕の中史上軽かったんだなぁって。

とにかく僕を取り囲む世界の見え方が、確実に変化しました。

まず執着心がなくなりました。愛着や執着は一度持つと失うのが怖くなる、なら持たなければいい、これが色付き飴職人となって手に入れた新しい僕の考え方でした。
実際やってみたら凄く楽で、どこまでも青空に向かってラッパを吹けるくらい意気揚々なんです。

相手がいれば起こる摩擦についても線引きが容易になって、以前の僕とは違い感情的に問題と関わる事がなくなって一歩下がって意見できるようになりました。
今までずいぶんと、他者の問題を自分の陣地で起きている事に置き換えて他者の気持ちに同調していたんだなぁ、ってかそれって問題解決になってなかったんだと気がつきました。それはそもそも相手の問題なのに僕が勝手に解決できる訳がないのは当たり前だよなって。

いいかい、流れについてこれているかい?
続けるよ、これは私も少々驚かされた話だ。

僕は前より人間そのものがくっきりと見えるようになりました。
明らかに清らかに見えていた物にすらやはり影が存在することを知りました。

負のエネルギーが生きる源という人がいることはもちろん知っています。
それに人の不幸が蜜の味であることも。
でも実物に出会ったのは初めての経験でした。

僕と同じ色付き飴職人、僕が能力者である事を受け入れ生きようと思っていたところに、その人と知り合いました。
可哀想にまだ若いのにと、とても親切に近づいてきたんです。
でもその時にはもう僕は、人間の陰影をくっきり色濃く感じ取れるようになっていたので、一眼で胡散臭い空気を感じ取り警戒しました。

結果、僕の第一印象は当たっていました。
美辞麗句を並べ、色付き飴職人の生きていきやすい理想郷を語るその人は言いました。
珍しい能力なんだ、もっと黄色い飴の存在を世界中に広め、我々がどれだけ世界の人の役に立ち、どれだけ身を削っているのか知らせる必要があると。

この世に有害物質がある限り誰でも飴職人になる可能性はあって、なかでも黄色い飴を作れる人間はごく少数なんだ、もっと丁寧に立派に扱ってもらって然るべきなのだと。

そういう考え方もあるんだと、僕は話を聞くことにしたんです。
ですがその人と話をしていると、いちいち小骨が引っかかる感覚があって、その正体がわかるまでは大人しく話を聞いていようと決めました。

その人は、黄色い飴職人とならざるを得なくなった不遇な立場を、前面に押し出す活動をしていました。色付き飴職人の中でも、黄色い飴職人の立場の優遇を求めていました。
ある時は大きな広場で、またある時は劇場で。
珍しいけれど黄色い飴職人は他にもいるから、その人たちを集め大きな塊を目指していました。

それ自体は僕は良いと思ったのですが、問題は光ではなく陰にある本音でした。
最初は何に僕は引っかかっているのかがわからず、疑問に思った事は質問をし対話しました。

わかったんです塊の本音が。
黄色い飴は国の機関が「買い取ってくれる」が残念ながら無色透明の飴は買い取ってもらえない。
僕が大学生をやめ草原の草の如く光合成をしてラッパを吹き生きている生活費は確かに飴代です。
大きな塊が目指す先は注目を浴び耳を傾けてもらう事、そして買取価格を吊り上げる事。
そのためなら黄色い飴職人の生死さえも利用する…今思い出しても胃がむかつく卑怯なやり口で、本当に嫌な経験をしました。

さもしい、という言葉が頭に浮かびました。

生き方が美しくないと表現したら良いんですかね。
飴職人となった人が、こんな風に人の死を、人の人生を軽く扱うなんて。さらには、そこに群がる下品な人間が思った以上にいるだなんて僕は全く知らなかったから。
まるで腐敗したゴミのような汚くて残念な世界を覗いてしまったんです。

世の中は派手な話題を欲している。
単調な日常にスパイスを、そんな軽いニュアンスで。

老衰なら話題にならない。でも死をかけて生きる弱った姿や、若い人の死は、平凡な日常のスパイスであり他人の不幸は蜜の味。これを利用し注目を集めようとする手法を嫌ってくらい見せられました。

黄色い飴職人であるその人が言ったんですよ?
弱った様子や死に対する情報に世間は食いつくからと。
僕は耳を疑い振り返りまじまじその人の顔を見ました。

聞き違いではなかった残念だけど。

他人の不幸は蜜の味、それを使わない手はない、そうニヤついたんです。
あの人たちの目的は黄色い飴の買取金額の値上げです。だから注目を浴び世論を動かし金銭を吊り上げたかった。そしてその周りには飴職人ではない大人が一緒の塊となっていたんです。

不幸を餌に、人の死を華々しくお涙頂戴話へと盛り上げて、世間の注目を集める。
美辞麗句に隠れた本音は全てが金だと知って唖然としました。
どんなに違うと反論しようと、生き方が、言動が、大きな塊の目指す方向が、全てを物語っていましたから僕はそっと塊から離れました。

あの人もまた同じ色付き飴職人なのに、どうやら世の中の見え方が僕とは違うみたいだった。
でも執着も愛着も持たないので、あの人の事もあの人たちの塊も忘れかけてきているので、もういいんですけどね。

文句を垂れ流し、誰かのせいにし人を責め人を蔑む卑しい人間に、僕がならなければいいだけなんで。
そういった人間は常にどこからともなく湧いて出て、そういう奴らは死ぬまで変わらないというのも予定調和ですから、腹を立てるだけ僕の有限の時が無駄なんでもういいんです。

関わらなければ、知らなければ、存在していないのと同義なんで。

草原の草の如く漠然と、まだ倍以上あると思っていた人生だったけど、思わぬところでゴールテープが僕の方に駆け寄ってきたんです。
全くもって人生って物語通りには進まないんだな、クソなやつはクソだし、ついてるやつはついてるし、笑っちゃうくらいこんな部分も予定調和なんですよね。

なんのために生きているのか、これは今もたまに考えます。

生きる目的がある訳でもないし、なにかやり遂げたい事がる訳じゃ無いんです。僕はラッパを吹き練り歩けるくらいの、軽い気分で世に存在していただけなんで。急に生きる意味を問いかけられても戸惑うばかりです。
僕が今のところ納得している答えは「生きている状態が続いているから」生きている、です。

そろそろ退屈してきた頃合いかな?
ふふふ、なかなか『結』へと向かわないね、素晴らしい事ではないか。

いいかい?
皆、有限の時間を生きているんだよ。
そんな当たり前な「正答」だけれど、忘れたまま生きてはダメなんだ。
命が続く限り、という期限つきで生きているんだ我々は。
ならば、楽しく優しさを投げ合い、美しいものを食し、この青年のようにラッパを吹き、朗らかに優雅に街を練り歩きたいとは思わないかい?

だから僕は決めたんです。
確実に僕の物語の『転』です。
背筋を伸ばし僕自身に嘘をつかず、誰かの失敗を責めず、清らかな心を意識して生きて行きたい。

そんな自分で死にたいと。

世間や大人は綺麗事と笑うかもしれませんし、生きるにはお金は確かに大切です。
それでも僕は、僕自身の世界の中だけでいいから、清らかな心で生きていたいんです。

色付き飴職人となろうとも、生き方をいきなり方向転換されようとも、僕の心と僕の生き方を他人が決める事は出来ないと知ったから。
僕の物語は『起承転結』の『転』まで進み、もう残りは『結』だけなんです。

僕の職業は黄色い飴職人、だって飴代で生きているから。
好きで色付き飴職人になったわけではないけれど、飴代で生きているもうすぐ30代独身男性の僕という命。

納得しているようでも時々小骨はつっかかるし、無色透明の飴職人の人からしたら飴代があっていいねと思われているかもしれないし、同じ黄色い飴職人でも買取価格が違うのも知っているし、まぁ色々混ざって僕は今生きているんです。きっと飴職人は皆この理不尽と戦っている。

命の終わりがいつかはわからない、だけど生きる方向は定まった僕の物語。

人生の物語の『結』とは、確実に人生の終焉、すなわち死ですよね。そして『結』だけはどう閉じるのか予測がつかないのも皆平等なんです。
僕の『結』が色付き飴職人として閉じるのか、はたまた街を練り歩いている最中、暴れ馬に出くわして閉じるのかなんて誰にもわからないでしょう?
そう考えたら楽しくさえなりましたし、あれほど嫌気しかなかった世界も居心地の良いものへと変わったし、なによりも僕が僕を偽らなくなりました。

草原の草にだって見栄えを気にするくらいのプライドはあるんですよ?
でもそれもどうでも良くなりました。
誰の目にどう映るのかよりも、僕が生きている有限の時間は、全部僕が楽しく生きる事、それが僕にとって重要なんだって。

上手く語れたか自信はありませんが、僕の本音を吐き出せて少なくとも僕はスッキリしました。ありがとうございます。

そう穏やかに笑った青年、礼を言うのは私のほうなのだが、それすらも彼らしくて私は心が洗われた。
私は、目に触れるもの耳にするもの全てが、美学を放ち孤高に顔を上げ未来を見つめるモノで溢れかえる世界であって欲しいと願い生きている。
青年の物語に胸が震え、この感動をぜひ誰かに聞かせたくて呼んだのだよ。
どうかい?楽しんでくれたかね?

黄色い飴で作られたコニャック、
草原の草のような青年の、美しく清らかな心と命が続くことを願い戴いこうではないか。

別れ際に青年は言った。

これはの僕が生きている世界の物語です。
物語の『結』以外は自由に決めさせろって話ですよね。
生きるってきっとそういう事なんじゃないかってわかった気がしたんです。
抗うことのできない運命だけど、生きている限りは、清らかな心でラッパを吹きながら、揚々と草原の草のように僕は生きたいんだって。
ならば目指せばいいんだ、僕は新しい考え方の僕で生きればいいんだって知ったんです。

と澄んだ瞳で穏やかに微笑んだ。
美しいと思ったよ、素晴らしいと。

あぁ、あとは自由にやってくれて構わない。
目と心を濁らせず生きるよう健闘を祈ろうではないか。

一百野 木香