漆;ポケットに「なんじゃこら」と愛を

漆;ポケットに「なんじゃこら」と愛を

私の日常は穏やかな水面のようで、可もなく不可もなく至って平凡である。
でもある日、私のポケットに凄い事が起きた。
人生初の「なんじゃこりゃ!」だ。

駅で電車を待ちながら、なんともなしにコートのポケットに手を入れた、ん?んんん?何か柔らかい物が入っている?!
掴んだらダメそうな柔らかさ…嫌な予感しかない。急いでポケットから手を抜き出し、恐る恐る中に居るであろう「何か」を確かめるため、そぅっとポケットをつまみ上げ中を覗き込んだ。

小さな小さな女の子と目があった。

え?生きてるの?

リップクリームくらいかな、
柔らかそうなくるんとカールした金色の髪が彼女の肩で優しく踊る。
私を見上げる茶色い瞳は、キラキラと光りこぼれ落ちそう。
小さくて聞こえないのだが、何か喋っているお口は桜貝色。

天使?え?キューピット?妖精さん???

ダメだ、私の脳内から弾き出す答えはこれが精一杯だ。
落ち着け私、どうすればいい?

とりあえず微笑みかけてみた。

小さいけれど大きな瞳で、女の子もにっこり笑ってくれた。
なんだかホッとした。けど、どうしよう…
ポケットの中からキラキラ光る瞳で私を見つめる小さな小さな女の子から視線が離せずしばし固まってしまったが、我に返り周りを見ると、やっぱりいつも通りの風景で、どうやら「なんじゃこりゃ!」は私もポケットの中でしか起きていないようだ。

ハッと閃き、急いで駅のトイレへ逸る気持ちを抱え急ぐ。

個室の鍵を閉め、ふぅと深呼吸をしてからそっと腰を下ろし、再び「なんじゃこりゃ!」なポケットをそうっと開いた。

何やらご不満そうなお顔と目が合う…。がしかし、どうにも可愛くてついにやけつつ、私の手を差し出した。わかってるじゃない、と言いそうな表情で私の指をつたい掌に登ってきた。

落ちないよう両手をお椀の形にして、声が聞こえるよう私の顔へそっと近づけた。

「ひどーーーい!メルのご挨拶披露がおトイレなのぉ?」とぷんぷん怒った言葉が彼女の声を聞いたはじめてだった(笑)。

ごめんね、あなたは一体何なの?!って言うか、なんで小ちゃいの?え!もしかして妖精とか言わないよね?私疲れすぎてんの???

「いっぺんに聞かない!だーかーらー、今からご挨拶するの。さえないおトイレの中でね」

嫌になっちゃうって心の声が聞こえそうだが、背中のリボンやスカートの裾を直し、くっと顔を上げ天使のような笑顔でこう言った。

「はじめまして、桃子さん。私はメルと申します。あなたに御用があって会いに参りました。少しの時間の出会いかと思いますがどうぞよろしくお願い致します。
 妖精かと尋ねられましが、その類と思っていただいて結構でございます。メルがどうして桃子さんに会いにきたのか、これからお話しますので、どうぞ私のお願いを聞いてくれませんでしょうか♡」

こぼれ落ちそうなキラッキラッの瞳で、スカートのすそをつまみ、お姫様のように膝をおりご挨拶を終えた。はぁぁ…かっわいい♡

っとと、♡じゃない!ねぇなんで私の名前知ってるの?妖精みたいな類ってマジな話?!

「もぉ、しつこいなぁ。だーかーらー説明したでしょう?で、メルのお願い聞くの?聞かないの?どっち?」

と私の鼻を信じられない小さな人差し指がつつくから、息で飛ばさないよう気をつけながら、わかった、聞くから、ね?と小声で答えた。

「当たり前じゃない♡」と満足そうに笑うメル。やばい、本当可愛い。

「じゃ、行くわよ!」
ん?どこへ?

「小鳥ヶ丘の公園」
心臓がドクンと痛んだ。
いや…ごめん、そこへはちょっと…

「だからメルが来たんじゃない。行くわよ、桃子!」
メルが掌からよじ登り、私左肩にちょこんと座った。

これは偶然じゃない必然なの?
あの笑顔が浮かび、溢れ、どうしたらいいかわかならい…。
これほど注意深く平凡を生きていたのに…私は小鳥が丘へ行かれるのだろうか。思考がぐるぐる行きたくないと訴え、脳内を回る。

「いーくーよー!!桃子!!
じゃないとメル、今すぐトイレに落ちるよ!そしたら桃子、一生後味の悪い思いして後悔することになるけどいい?」

くぅぅ、一丁前に脅してきたよこの天使…

「大丈夫、そのためにメルが来たんだもの。桃子は行かれる!だから一緒にさ、ほら行こう?」

まるで何か運命とやらに引っ張られるかのように、そう、必然であったかのよう、二度と行かないだろうと思われた小鳥が丘行きのバスに揺られている私と、鼻歌を歌いながらご機嫌そうなメル。なんだかふわふわと実感がない。そう夢の世界にいるかのようだ。

メルが言った。

「桃子、私はね琴美ちゃんから頼まれて来たの。メルね、琴美ちゃんとお話ししたの」
小鳥ヶ丘と聞いた時から琴美と関係あるんだと感じていた。
やっぱりそうなのか…と思った時、すぅっと涙がこぼれた。

「桃子、泣きたい時は沢山泣いていいんだよ、それが正解なの」
そう言ってメルは、小さな手で私の頬をさすってくれた。
小さなぬくもりが大きく私を包み、私の心は少し解れてきた。

着いた。
小鳥ヶ丘公園の入り口。

「桃子、あのベンチへ座って」

メルが言うだろう予想はついていたから、覚悟を決めベンチへ向かう。
ここは琴美が溢れ過ぎていて私は怖くて近寄ることが出来なかった。

琴美と初めて会ったのは幼稚園の時。小中も同じ、高校も同じ。双子のようなんて周囲に言われるくらい、一緒にいて本当に楽しかった。
小鳥ヶ丘公園は、それこそ幼稚園からの琴美との思い出がありすぎる場所だ。

高校に入った最初の夏休みだった。
琴美ではなく琴美のお母さんから電話がかかってきた。
「実は琴美が病気であることがわかったの、桃子ちゃんに会いたがってるの、少しでいいから病院にきてもらえないかしら」と。

急いで病院へ向かった。無菌室というらしい、シャワーキャップに手袋に靴カバーに手術着のようなものを身につけないと会えない厳重さ。インターフォン越しに話す琴美の声は弱々しく、でも笑顔を作り微笑みかけてくる。

私が会えたのは3回だった。

3回目の面会の時琴美は言った。
「桃子、お願いがある。大学に行って青春して、バイトして、サークル入って、就活して、仕事してみたいなさ…当たり前にみんながやってる事、桃子もこれから先楽しんでほしいの。私の分まで楽しく生きてほしい。勝手な事言ってごめん。いつも楽しかったよ、ありがとう桃子」

数日後、桃子は虹の橋を渡った。

悲しい、寂しい、辛い、それ以上に二度と会えない事の衝撃が大き過ぎて、秋になっても冬になっても私は抜け殻になってしまった。

『当たり前にみんながやってる事』そうだ、これが琴美の最後のお願いだったんだ。
相変わらず肉体と心がとっ散らかったままの脳味噌であったが、私がやるべき事がわかった、そう閃きだった。

春の息吹のように、「当たり前にみんながやっている事」を片っ端からやってやろうじゃないか!と私も息を吹き返した。
琴美だったらどうしたかったかな?琴美ならどんなサークルに入ったかな?そう過去の琴美との会話を思い出しては、琴美が空から楽しんで見てくれていると信じ「平凡」に生きて、今日まで過ごしてした。

だけど小鳥ヶ丘にだけは足が向かなかった。
いつも二人で座っていたベンチに、一人で座るのは辛過ぎるから。
でもメルが一緒だし、琴美の頼み事を私が聞かない選択はないから、琴美の場所を空けて私は腰を下ろした。

「桃子、メルをここへ連れて来てくれて本当にありがとう。桃子の掌にメルを乗せて」

再びお碗の形を作り、メルと目が合う距離で向き合った。

「メルはどうしても伝えたい事がある人の気持ちをデリバリーするのが役目なの。今回琴美ちゃんからご依頼があってこうして桃子に会いに来たの」

メルの姿が霞む、琴美への気持ちが溢れ涙が止まらない。

メルが小さな手紙のようなものを広げた。

『桃子へ

私がいなくなってから、桃子は私の願いを叶えようと一生懸命だったね。はじめは私も一緒に青春を過ごしているようで空から楽しく眺めていたの。
でもね、桃子は私の人生を生きようと頑張っているんであって、桃子自身の人生を生きていない事に気がついたの。
私の最期の言葉はお願いではなくて、桃子の心に枷を嵌めてしまった、もはや呪いのようなものだったって。

ごめんなんさい桃子。
そして本当にありがとう桃子。

もう私の言葉を忘れて、桃子の人生を生きていってほしい、それをどうしても伝えなくちゃいけない。だって桃子は今も大好きな心友なんだもの。
この気持ちをメルちゃんに届けてもらったら、もう私は空から桃子の姿が見えなくなるんだって。だからね、桃子が虹の橋を渡って会えたとき、一杯私の知らない楽しかった事を教えてね。
桃子の幸せを、たくさんたくさん願って、また会える日を楽しみに待ってます。
ありがとう桃子
                                  琴美より』

「以上が琴美様より賜りました桃子様への「お気持ち」です。
無事お届けすることが出来ましたこと心より安堵しております」

そうメルが再びお姫様の挨拶をした。

私は堰を切ったようにわんわん泣いた。
そうだった、琴美がいなくなってからちゃんと泣いた事がなかった。生きたかった琴美の気持ちを考えると、泣くのはずるい気がしていたんだった。

再びメルがよじ登ってきた。
「桃子がちゃんと泣けてよかった。琴美ちゃんそれも心配してたの。桃子にひどいことお願いしちゃったって後悔してた。
だからメル言ったの、桃子が虹の橋を渡ってくるまで、二度と姿を見守るる事は出来なくなるけど、琴美ちゃんの気持ちを桃子に伝えられるよ?って。」

空を見上げたメルが言う。
「琴美ちゃん、すごい幸せそうに笑ってる。
さぁ桃子、これからは桃子の人生を生きるんだよ!メル、ちゃんと伝えたから守ってよね!」
ちっちゃな指で私の頬をピンと弾いていきなり消えた。

夢のような現実味のない現実、唯一事実だったと確認できるのは泣きはらした目と、小鳥ヶ丘公園のベンチに一人で座れている事だ。

メル、ありがとう。
私頑張ってみる。
どうやって生きていきたいのか、何をしたいのか。
平凡だろうとも、私の選ぶ平凡を生きてみる!

琴美待っててね、いつか会えたら、たっくさん話そうね!
私も大好きだよ、琴美。

一百野 木香